ツイてない人生も過ぎてみればツキ過ぎの人生。自分の先達敬うべき明確な理由とは

昨年5月30日未明に始めて大発作を起こして救急車に乗せられ“てんかん”っと診断されてからちょうど一周年になります。その後事故、入院、退院、慢性硬膜下血腫判明、手術、入院、退院、退職、求職開始・・・で現在の近況です。

今がチャンスかも

昨年春から僕は不運の連続でした。

「あの時ベテランの医者がサッサと発作をコントロールしてくれてれば」

「あの時自動車の運転と発作の恐ろしさを医師がもっとしっかりと説明してくれていれば」

「あの時警察や事業所にてんかんがバレないようにしていれば」

そんなふうに考えることもしばしばありました。しかし元来“楽天家”の私は最近あの事故は

「先達がオレに与えてくれた人生を変えるために必要な“必要最小限の措置”だったんだろう」

って考えるようになりました。

あまりにもでき過ぎている

そう思うには理由があって、今色々考えてみるとあまりにもでき過ぎているんです。例えば

てんかん:突如てんかんを発症したのはそれまでの仕事を止めさせるため?

交通事故:愛車を取り上げつつ交通事故の恐ろしさ、運転の責任の大きさを理解させるため

求職・失業期間の長さ:8月20日~年内12月31日まで休職年明け3月から失業給付スタート。障害者扱いなので給付期間は1年間。

考えようにはこんなでき過ぎているシナリオは無いんじゃないでしょうか。何しろてんかんの場合発作さえ無ければ全く普通の人で、交通事故は軽い物損で済みつつ自分の車は廃車になり、通常なら3ヶ月しか給付されない失業給付が1年間!?

・・・でき過ぎでは?

無傷でオレの考えを改められた!?

そもそもそ結婚した時に実家のある土地で田舎住まいを嫌がる女房と実家の農業と両立するために勤務している事業所でした。しかしその後実家の農業は地元の農業法人が行うようになりました。

その時点で僕はそれまでの事業所は辞めて、きちんとした仕事に就かなければいけなかったんですね。収入面を考えれば。しかし元来の自動車好きが災いし、なかなか辞める事ができなかった(自動車関係の事業所だったので)

そんな中で僕はてんかんを発症してしまいますが、もし医師がスグに発作をコントロールしてしまい交通事故を起こしていなかったら・・・それまでの事業所は辞めず自動車の運転も続けていたでしょう。

でもそうすると、あまり将来性の無い仕事を続けながらある日いきなり

ドンッ!

っと、取り返しのつかない大きな交通事故を起こしていた可能性“大”だったと思います。折りしも最近はてんかんなどの発作を思わせるような運転者による悲惨な交通事故が頻発しています。

あのままの生活が続いていたら今頃僕がニュースの画面に登場していたのかもしれません。

僕や女房の実家の先達の助けか?

てんかんとか交通事故までは残念でしたが今は失業給付を受けながら新たに国家資格を取得しようと毎日勉強しています。これもある意味

てんかんだから

発作さえなければ別に以前と変ることはなにもありません。今の僕は発作を完全にコントロールできています。つまり

国からお金をもらいながら勉強できていることになります。

長期間仕事ができずに心細い収入の中で余儀なく生活しなければならないのは残念ですが、いい歳して勉強しながら次の就職のためにがんばれるというのは僕の人生では

最後のチャンスだと思ってます。

昨年から色々不幸な出来事が起きていましたが考えようでは全てが“幸運”だったと思える事案でした。

女房子供のため、そして私達を精一杯支えてくれたお互いの実家の家族のために何としても

やり切ろうッ!

って思ってます。俺がそう思えるのもたぶん・・・

先達の意思なんでしょうね。