やまゆり園事件の死刑判決によってにわかに障害者と障害者を持つ家族の立場と感情に関して議論が行われているようです。
障害者手帳を持つ私も他人事ではないので少しだけ・・・
俺も同罪
先日姪が初めての出産。生後3ヶ月くらいの赤ちゃんに会ってきた。昔から
玉のような赤ちゃん
なんていう言い回しがピッタリのかわいい赤ちゃんでした。しかしその子は少しワケありだった。
彼女の妊娠がわかった時点では双子だった。しかしその後お腹の中で片方の胎児が死亡する。
その時点でもう片方の子の容態や障害の有無はできる範囲で医師が確認。
障害は無いと結論
その言葉に一同安堵しながら無事出産。出産時にお腹の中にいた子の小さな骨格の一部も出てきたそうだ。
正直双子の妊娠がわかった時点で俺は
- 正常な双子なのか?
- 母体は大丈夫か?
を心配した。この世の中で障害を背負って生まれてくると親も子も本当に大変な人生になるし、そもそも初めての出産でいきなり双子では
彼女の体が心配
妊娠が判った頃は彼女の親でもないのにそんなことばかり考えていた
こんな俺がやまゆり園の犯人とどれくらい違うのだろうか?
っと考えることもある
犯人はもっといる
やまゆり園のニュースを見た後に、Yahooで高齢者や障害者に否定的な人間がどれくらいいるのか?検索してみたら・・・
- 高齢者 いなくなれば
- 高齢者 しねしねしね
- 高齢者 生きてる意味
- 障害者 生きる価値なし
- 障害者 死んでしまえ
- 障害者 死刑
簡単に検索してみただけだがこんなにあった。いや・・・もっとある。あまりに凄くて笑うしかなかった。
このようなワードで検索する人たちってどんな気持ちで検索しているんだろう。検索語句通りのキモチのまま同じような憎悪に近い感情を持っている同胞を探していいるんだろうか?
自分が生まれてきた時は人の手を借りて育ててもらった事実を否定するのか?これから自分が高齢になった時に人の手を借りながら人生の終焉を余儀なく迎えなければならないという事実を拒否するというのだろうか?
それともそうやって人の手を借りるのは自分に限って当然の権利だとでも思っているのだろうか
若さゆえ
若くて体力があり何に関しても旺盛な意欲がある人は生きるのが下手な同世代にさえ
ダメなやつ
っという意識を抱く奴もいるだろう。ともすればそういう彼らが障害者をどう見ているかは言うに及ばずがな・・・か
恥ずかしながら私も20代の若かった頃、彼ほどだったかはわからないが心の中に強い・・・
“一人で生きている感”があった
そういう時期は自分自身に対して裏付けの無い絶対の自信があるので
他の人や社会に対する感謝の気持ちなど全く無いものだ
きっと後悔する
彼の犯罪の動機が何であれ、彼が思うほど人の人生や気持ちは単純でないと思う
彼はまだまだ未熟な若者なのでそういうことがまるでわかっていないのだろう。なのにまるで何かに達観したかのような言動と振る舞い
最悪だ
彼とよく似た心情や考え方を多少なりとも持っていた私が当時の年齢の倍くらいになった今
当時とは180度違う認識と考えを持っている。彼にもできれば今の私の気持ちを理解して欲しかったが・・・
彼は一線を越えてしまった
そんな彼は死刑が執行されるまでの間に
- 親が老いて弱くなる
- 結婚しパートナーと支えあう
- 小さな命を大きく育てる
- 親しかった親族や友人の死
こんな経験を一切する事は無いので大きく後悔することなく死刑が執行されるだろう。まぁその方が死にゆく彼にとっては逆に幸せかもしれない
でもせっかくこの世に生まれ出てきて何も知らないまま死刑になるとはね
不憫だなぁ
彼の親は自分の息子がその程度にしか育たなかった事をどう思うことだろう