大卒と高卒の違いはアタマのいい奴と悪い奴の違い、価値観の違い・・・
同じヒト科の生き物として一体何が違うのか?高卒の俺の頭の中にいつもモヤモヤ居座るこのテーマに対して
実は自分的には一定の結論は出ている。それは・・・
想像力の違い
想像力と言ってもアインシュタインやエジソン、スティーブ・ジョブズのような今まで誰にも考え付かなかったものを考え出すようなものではなく
このままだとどうなるか?
的な簡単なやつ。例えば相手に「オマエなんかキライだッ!」っと言えば
相手との関係はどうなるか?それを見ている友人達は自分をどう思うか?っという事を
言ってしまう前に結果を想像できるので言わない選択ができるのがいわゆる・・・
大卒
とにかく今のイライラをスッキリさせたくて迷わず言ってしまうのが
高卒
この辺まではまぁわかります。教室内で大声で人の悪口言ってるやつや不平不満ばかり言ってるやつは
往々にして偏差値低い。ただ勘違いのないように言えば
想像力と創造力は違う
日本って国は政治家や政府の官僚には日本の超一流大学を出た人たちが大勢いるのになぜ
世の中は良くならない?
っというコラムを書いている方が非常に多いです(笑)その原因として具体的には
- 縦割り行政
- 自民党による一党独裁
などと言われることが多いようですが、僕はそれ以外にも
人間の資質の問題
かもしれないって・・・
思うことがあります。
勉強だけでは限界がある?
一流大学に入学するにはそれなりの勉強量が必要です
自分の能力を高めるためには勉強は最もいい手段だと思います。でもいくら勉強しても
・・・その人が本来持っている資質ってあまり変らないような気がします。
資質って何?
“その人の資質”ってちょっと説明が難しいんですが
昔から地域の人たちをまとめてる・・・江戸時代なんかだと
庄屋とか名主
っという地域の人たちをまとめている役人というか・・・
地元の名士
という方々がいました。こういった方は地域の人たちの意見を聴きつつ役人との調整役を行っていました
今でもいらっしゃいますよね。地域にほぼ伝統的に教師や医者、行政の首長や経済界の立派な方になる家系の家。
そういった家の、豊かな感性を持った人の事を資質のある方、高い資質の方・・・などと言えるのかなぁ~って思っています。
貧乏から抜け出すために
昔は大学に進学するのはそういった地元名士の子や、貧乏な家に生まれたにもかかわらずその能力から、将来を嘱望される子が地域の人たちから寄付を受けながら進学する・・・つまり
真に優秀な人だけが進学するところが大学でした。でもその後は貧乏な家に生まれたにもかかわらず貧乏から抜け出すために行くのが大学!に変りました。この辺りから
優秀な人と学力の高い人
に分かれたのかもしれません
創造力があるから
学力の高い想像力のある方は上の人の言うことに反論するとその後どうなるか?
言われなくてもよくわかってます。上の人があまりけっこうではないことを言ってても
黙っているのが得策
っと考えて黙っています。上の人には右倣えがその組織で長生きするための秘訣だと良く知っているから。
そういう方々で政治や行政の場が埋め尽くされているので経済や行政もほぼ30年間変ってないのでしょう。
真に優秀な人はどこにいる?
最近もまたくだらない見たくもない・・・ニュースにもならないようなニュースが流れてきました。
イベント自粛要請日に政治資金パーティ。首相補佐官の稚拙な反論
N国・丸山穂高議員「カジノでボーナスUPアジャース!」に賛否
なんでこんなにも高学歴な人たちがくだらないニュースの当事者になるんでしょうか?
どちらも良い家系の人だったら、良い資質を持っている人だったら起きなかったかもしれない
そんなふうに思わせられる残念な報道でした。
いずれの方も、今の地位が努力の末に勝ち取った結果という意味においては素晴らしいと思いますが
社会に対して強い影響力を持つような立場にいるのですから、自分の立場をよくわきまえて、常に
- 自分はどんな行動を執るべきなのか?
- どんな発言をすべきなのか?
その優秀な頭脳に常に問いかけながら適切な行動を執って
私達を導いて欲しいと切に願います