あの日の未明に救急車で運ばれた日からちょうど1年経ちました。いい機会なので改めて今までの出来事をまとめてみました。
事故・入院・退職・主婦業
- 5月の某日未明に初めて発作
- この時妻が驚き急ぎ119番!市内の大きな病院へ。この夜はたまたま神経内科の若い女医が当直。突発性全般型てんかんの発作と診断され、当直医だった彼女が主治医になる。
- その後投薬により発作のコントロールを試みるが10日おきに発作勃発!
- 薬が合わないのか?当初深夜だった発作が徐々にズレて日中に起きるようになる。
- その後業務中に頭を強く打つ労働災害発生
- 初めての発作から約3ヵ月後に原因不明の自損事故を起こす
- 脳挫傷で10日間ほど入院
- 退院後体調が優れないので休職のまま自宅療養
- 10月に慢性硬膜下血腫判明!即手術
- 10日程度で退院
- 年内12月31日付で事業所退職
- 年明け、一向に支払われない公・民両方の労災保険の再請求
- 公的労災保険は支給されたが民間の労災保険は拒否される
- 3月職業安定所に登録。求職活動開始
- 休職していた妻が働き出す
- 女房の変わりに食事などの家事を行う
- 再就職に向けて資格取得を目指す
去年は色々学びのある1年となりました。てんかんに関する学びはもちろんですが、私たちが普段何とも思わずに加入している失業保険や労災保険、民間の保険などについても病気に罹る以前には想像もできませんでしたが、
何の準備もなしに問題が起きると“労災”でさえ乗り越えることができない!
っという大きな学びを得ることができました。
何も準備無しの恐怖
一番ガッカリしたのは事業所の社長が我々のためにかけてくれていた“民間の労災保険”が全く役に立たなかった!っということ。
いくら通勤災害とは言えドクターストップ中の運転による事故だったので、法律的には問題ないとしても
道義的にどうなの?
っという意味なんですかね?民間の保険会社からは支払いを拒否されました。逆に目からウロコだったのが監督署の労災保険です。
1度目の入院はてんかんの発作をコントロールするための入院なので認められませんでしたが2度目の慢性硬膜下血腫による傷病手当は認められました。
同義的にはともかく法律違反が無ければ支払うべきは支払う!
っというスタンスなんでしょうね。
「自分は大丈夫!」などと勘違いしてはいけない
会社の労災保険や健康保険、または監督署による失業保険・傷病手当など何かあった時のためのセーフティーネットはそれなりにありますが
「俺たち、ぜってー大丈夫~♪」などと思ってはいけません。なぜなら現実はけっこう厳しいから。
僕は社会保険ではなく国保だったので監督署に傷病手当を請求しましたが支払われたのは半年後の翌年2月。
しかも認められたのは2回目の入院にかかる39日分のみです。
しかも1回目の入院は8月から9月にかけてでしたので14~15万円くらいかかりました(月またぎでなければ5~8万円程度で済むはずだった)
高額療養費制度があっても状況が悪いと(入院が翌月に渡ると)このように軽く10万円を越える入院費を請求されます。
失業保険に入っているからと言ってお仕事をお休みしている間の生活費が何とかなるわけでもありません!
頼りは保険と貯金だよ
去年の通勤災害入院劇で感じたのは、普段自分たちはほぼ丸腰同然で暮らしている!っということ。
僕もそれなりに民間の保険には入っていましたが“入院”でも“通院”でもない、働いてはいけないわけでもない期間に給付してくれる保険はなかなかありません。
公的機関の失業給付は事業所を辞めなきゃいけませんし傷病手当は休んだ日数分いただけるわけじゃない。つまり
暮らしていけません
だから普段から保険の見直しと貯金やっときましょうね。
ちゃんちゃん♪